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供養にならないかな/平成三十一年四月十五日 [由無し事]

今年は花冷えのお陰で、桜の花が長持ちして良いですね。
今日の東京は桜吹雪が夢の様に綺麗でした。もう大分散りましたね。

空には桜~。
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野にはオオイヌノフグリ~。
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天には西澤タワ~(笑)。こと田無タワーです。
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以前住んでた部屋はとても見晴らしが良くて、
この田無タワーが地平線にぴょこんと突き出てるのが良く見えました。
夜になるとイルミネーションがチカチカ光って、綺麗でしたわ〜。懐しい。
そういえば今年で私、上京二十年目なんですよ。
月並みな言い方だけど、あっという間でしたわ。
今の身の上は良くも悪くも思ってたのと違う状況だけど、
ずっと東京で暮らして来れたのはとても有難いし、
その事がせめて供養につながらないかな、なんて思ってます。
何の事かと言うと、前々回の記事に書いた、戦死した祖父の事です。

昭和初期に東京で学生してた祖父、よほど東京暮らしが気に入ったらしく、
卒業しても帰郷せず役者になりたいなどと言い出して大問題になったそうです。
しかも曽祖父が早くに亡くなり十代で既に家督を継いでいた事もあって、
親族会議まで開かれて連れ戻されたそうです。

面白くなかったんでしょうねえ、祖父。
帰郷後は定職にも就かず、お茶やお花を教えたり、
庭に温室を建てて、当時の田舎では珍しかった薔薇などを栽培して
売ったりなどして暮らしてたそうです。
やがて召集され日中戦争からは生還したものの、太平洋戦争で再召集。
昭和十九年の年末にフィリピンに上陸、上陸五日目に病気で入院、
十日目に米軍の艦砲射撃で病院ごと山ごと吹っ飛ばされたそうです。
何ともあっけない最期だったとは思うけど、
復員された同部隊の方の手記の悲惨さを見ると、
長く辛い目を見ずに済んだと思うべきなのかな…とも思ったりします。

祖父の夢を握り潰しても残そうとしたお家はその後、
跡目争いやら農地改革やらで揉め続けて没落し、結局断絶してしまいました。
まったく、戦争も人間も、ろくなもんじゃ無いです。
そうして私も人間の端くれです。
もしもいざ有事となったら、コロッと簡単に我を忘れて
外道に走るだろうなという自覚があります。
そっちへ行かないように、道を踏み間違えないように、足元をよく見て生きたい。

↓昭和初期のマッチ箱色々。祖父のスクラップブックより。
 今も残ってるデザインのがあって面白いです。
m1.jpg
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