商業誌でお仕事させて頂いていた頃、担当編集氏と打ち合わせ中の雑談で、
地元の文化施設の充実度の低さをこぼしてた時の事です。
図書館も美術館もすごく不便な場所にしかなくて、殆ど利用できなかったとか、
映画館なんかも、もともと少なかったのが更にどんどん閉館しちゃって、
観たい映画があっても上映館がなかったりして、すごく不便だったとかね。

そしたら編集氏が軽口めかして、
「それじゃあ有名な映画監督なんかも出てこないでしょうねぇ〜。」
って言ったんです。
いつもの事なので、いつもなら「そりゃ悪かったですね〜。」と
軽く受け流す所なのですが、この時は違いました。

私「それがどういう訳かいるんですよ。
衣笠貞之助さんとか、市川崑さんとか、
それと生まれは東京だけど在所が地元で、少年期は地元で育った
小津安二郎さんとか、アニメだけど高畑勲さんとか、
あと江戸川乱歩さんが趣味で8ミリ撮ってたみたいですよ、
志摩の若い海女さんにおっぱい出させて
ワシ、恥しい!!なんて字幕入れてたりして〜…」(笑)

編集氏もびっくりされてたみたいでした。
本当に、なんでなんでしょうね。
確かに江戸時代までは、最新の文化流行の発信地があったらしいけど、
そんなのは遠い昔の話で、今はただの寂れた田舎町なのになぁ。

そんなわけで、今更ながら心より感謝と哀悼の意を表します。
もう高畑勲さんの新作は見られなくなってしまったと思うと残念です。
ヒルダとフィオリーナとヒラメちゃんが好きでした。
氏の作品には時々ハッとするようなエロさや生々しさをまとった場面があって、
子供の頃はその感覚が何なのかよく解らないながらも、
アニメでこんなこと描く人がいるんだ…って感動してたものでした。

ハイジとクララが森でお日様を見上げて、眩しくてクシャミしたのとか、
ダイアナのみっともない酔っ払いぶりが情け容赦なかったとか、
これお母さんのや、と翡翠の指輪が膿盆に入れられて差し出されたのとか、
狸の悪戯に巻き込まれて死人が出たのをナンマイダ〜で済ませてしまうのとか、
娘狸にチューされた青年狸が鼻血吹いてぶっ倒れるのかと思いきや、
何とそのまま娘狸を押し倒して子供まで作ってたりとか、
竹取翁が手の中の小さい姫を嫗に手渡した途端に人間の赤ん坊になった時には
心の中で(エェッ、それ、あかんやろ!!)と叫んでましたわ。(笑)

今思うとあの生々しさは、命のきらめきの実感だったのかなぁと思ってます。
そしてそこには常に死が隣に佇んでいるような、
だからこそ際立つ強いきらめきだったのかなぁ…って。

映画館は乏しかったけど、優秀映画鑑賞会みたいな団体があって、
年に数回、優秀作品を公民館のスクリーンで上映してくれてました。
新旧問わず。お陰で「セロ弾きのゴーシュ」もそこで観られました。
新し目の作品だと運良くパンフレットも手に入る時があってよかったです。

第三の男もスティングもディーバもアントニー・ガウディも
田舎の日曜日も雨月物語もそこで観た思い出…。