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改元バーゲンの思い出/平成三十一年四月三十日 [由無し事]

さあ今日はいよいよ平成最終日。
東京はゆく時代を惜しむかのような遣らずの雨です。
来たる令和の時代は弥栄に喜ぶ感涙の雨が降りますよ〜。

昭和が平成に改元された日は、
近所のジャスコ(笑)のバーゲンセールの日だったのを憶えてます。
当然その日は朝から重い雰囲気で、自粛ムードも始まってましたから、
こりゃバーゲンも中止だなと思いつつ、
それでも晩御飯の支度はしなきゃならないので、
食材を買いにジャスコ(笑)へ行ったんですよ。
でも、行ってみたらバーゲンやってましたよ!!予定通りに。

ただしBGMが聞いた事もない地鳴りのような重苦しい曲で、
お客さんも皆無言で、黙々とワゴンのバーゲン商品を物色していました。
賑やかで楽しいはずのバーゲンセールなのに、店員さんの呼び込みもなく、
ただ商品の包装がこすれあうカサカサと乾いた音だけが店内に響いていて…。
異様な雰囲気に呆然としていたら、そこでたまたま近所の小母さんに出会いましてね。

小母さん(ニコニコ)「アラ!!何買うの?」
私「卵…」
小母さん(ニコニコ)「ええな!よぅけ買(こ)うて!!」

満面の笑みで去って行った小母さんのお陰でハッと我に返った私は、
そんなに卵ばっかよぅけ要らん(笑)と心の中でツッコミ入れてましたっけ。
絶望的な雰囲気から救ってくれたあの時の小母さんの笑顔に感謝です。

話変わって、その頃の私はもう何年も商業誌に漫画の投稿をしていて、
受賞はすれどもデビューには漕ぎ着けない事が続いていたので、
諦めかけて数年漫画からは遠ざかっていた時期だったんです。
でも昭和が終わって平成になった事だし、私もここらで区切りをつけようかと思いましてね。
地元で小さい漫画同人誌即売会が開催されるのに合わせて、
それまでに描いた投稿作品幾つかに少しばかり描き下ろしを足して、
記念のつもりでコピー誌作って初めて参加したんですよ。
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本文袋折で60頁、コピー用紙60枚分、
ホチキスじゃ綺麗に製本出来なかったので和綴じにして、10冊程作って持って行きました。
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一冊でも売れればいいと思ってたのに、予想に反して完売しちゃいましてね。
せっかくだから記念にと漫画情報誌にも一冊送ってみたら掲載して頂いて、
あれ、もしかしたら自分そんなに悪くないのかも…と、
だんだん調子に乗って色々始めたのがきっかけで、
数年後には商業誌でお仕事頂けるようになりました。有難い事です。
今回の改元でも、何かに繋がる良いきっかけが出来ると良いな。
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供養にならないかな/平成三十一年四月十五日 [由無し事]

今年は花冷えのお陰で、桜の花が長持ちして良いですね。
今日の東京は桜吹雪が夢の様に綺麗でした。もう大分散りましたね。

空には桜~。
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野にはオオイヌノフグリ~。
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天には西澤タワ~(笑)。こと田無タワーです。
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以前住んでた部屋はとても見晴らしが良くて、
この田無タワーが地平線にぴょこんと突き出てるのが良く見えました。
夜になるとイルミネーションがチカチカ光って、綺麗でしたわ〜。懐しい。
そういえば今年で私、上京二十年目なんですよ。
月並みな言い方だけど、あっという間でしたわ。
今の身の上は良くも悪くも思ってたのと違う状況だけど、
ずっと東京で暮らして来れたのはとても有難いし、
その事がせめて供養につながらないかな、なんて思ってます。
何の事かと言うと、前々回の記事に書いた、戦死した祖父の事です。

昭和初期に東京で学生してた祖父、よほど東京暮らしが気に入ったらしく、
卒業しても帰郷せず役者になりたいなどと言い出して大問題になったそうです。
しかも曽祖父が早くに亡くなり十代で既に家督を継いでいた事もあって、
親族会議まで開かれて連れ戻されたそうです。

面白くなかったんでしょうねえ、祖父。
帰郷後は定職にも就かず、お茶やお花を教えたり、
庭に温室を建てて、当時の田舎では珍しかった薔薇などを栽培して
売ったりなどして暮らしてたそうです。
やがて召集され日中戦争からは生還したものの、太平洋戦争で再召集。
昭和十九年の年末にフィリピンに上陸、上陸五日目に病気で入院、
十日目に米軍の艦砲射撃で病院ごと山ごと吹っ飛ばされたそうです。
何ともあっけない最期だったとは思うけど、
復員された同部隊の方の手記の悲惨さを見ると、
長く辛い目を見ずに済んだと思うべきなのかな…とも思ったりします。

祖父の夢を握り潰しても残そうとしたお家はその後、
跡目争いやら農地改革やらで揉め続けて没落し、結局断絶してしまいました。
まったく、戦争も人間も、ろくなもんじゃ無いです。
そうして私も人間の端くれです。
もしもいざ有事となったら、コロッと簡単に我を忘れて
外道に走るだろうなという自覚があります。
そっちへ行かないように、道を踏み間違えないように、足元をよく見て生きたい。

↓昭和初期のマッチ箱色々。祖父のスクラップブックより。
 今も残ってるデザインのがあって面白いです。
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梅は咲いたか、桜はまだかいな/平成三十一年四月五日 [由無し事]

ついに決まりましたねえ新元号。「令和」。
まさか本当に日本の古典が典拠になるとは思いませんでしたよ、私。
丁度うちに万葉集の本があるので、確めてみましたよ。

ありました。巻の五、八一五番から八四六番迄の歌の序文ですね。
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時は天平二年一月十三日、西暦なら730年2月4日、まだ肌寒い初春の頃。
太宰府に九州各地のお偉いさん方が集まって開いた宴で、
梅の花をお題に詠まれた歌三十二首に添えられた序文。
しんとした冷たい空気の奥から命の兆しが匂い立つような、とても美しい序文ですね。
もう少ししたら、落語の「愛宕山」の道中みたいに、
賑やかで陽気な春真っ盛りになるんだろうなと思ったら、
ちょっとホロリとしてしまいました。

実は漢籍の『文選』が下敷きになってるらしいと聞いて、
当時の上流階級の教養書ですもんね、なるほどと納得しました。
乱暴な例えだけど、明治時代の鹿鳴館みたいに、
何でも中国文化を理想としていた時代だから、
中国原産の梅の花を讃えるのは、とても高貴で最先端な行事だったわけですね。

でも決して桜の花をないがしろにしてたわけではなかったみたいですね。
三十二首の歌の中に一首だけ、桜の花も一緒に詠み込んだ歌がありますよ。

梅の花咲きて散りなば 桜花継ぎて咲くべく なりにてあらずや

梅の花が咲いて散ったら、次は桜が花咲こうってなってますやないか!!
…って。ちゃんと桜の花も楽しみにされてたんですねえ。
梅の花見が公的行事なら、桜の花見は民間行事でしょうか。
梅が社交ダンスなら、桜は盆踊りかな?!(笑)

しかもこの歌の詠み人は渡来系みたいですね。
一世か二世か更に後世かは知らないけど、
日本のいいもの褒められたら、素直に嬉しいじゃないですか。
梅もええなぁ~桜もええなぁ~って。
これぞ、令なる和 って事なのかもしれませんわね~。
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